むか〜し…昔…

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↑私が中学入学まで暮らした家の母屋は茅葺、手前にトタン屋根の納屋、反対側に離れ(子ども部屋になってた) があった。

私の実家の歴史は長い。由緒正しきお家柄の「お坊っちゃま」「お嬢ちゃま」という雰囲気は皆無であるが…取り敢えず、古〜くから東谷村に住んでいた。私の祖父のご先祖は商人で、城下町で八百屋さん(?)をやっていたが、親戚が住む笹部のこの家を継いだらしい。

私の両親は、私が1歳の時に母の生家であるこの古い家に引っ越した。

引っ越して暫くは五右衛門風呂も現役だったので、2歳くらいまで、未だ赤ちゃんの弟を父が抱き、私と3人で入った事を覚えている。母が外から薪焚べながら「湯加減どう?」って聞いてきた‼︎〜ってホンモノ時代劇⁈(因みに私は昭和44年生まれだから、そんな古くはない筈…)

壊れてからは、修理せず、目と鼻の先に住む祖父母宅に毎日、お風呂を借りに行っていた。自動給湯のお風呂になった今の暮らしに比べたらかなり不便なんだけど、往き帰りに父や母と話したり、お風呂を祖父母や叔父達と入ったりするので、結構楽しかった。

釜戸もずーっと使えたが、毎日これで湯沸し〜食事の支度となると面倒なので、普段はガスコンロ(プロパンをオッちゃんがゴロンゴロンと運んでくるやつ)を使用し、餅つきなどの行事の時だけ釜戸に火を焚べた。コンロも古くて着火芯が無かったから、マッチで火をつけたっけ…^_^;

 トイレは当然、お外にボットん便所〜小さい時は夜に行くのが恐くて、いつも母を起こして連れて行って貰っていた。たまに片足落として冷や汗かいたのも良く覚えている。

屋根の葺き替えとなると数人の職人さんが屋根の上で作業するのだが、その様子がとっても面白くて、一日中、下で眺めていた。終わると家の床は上から降ってきた茅で埋め尽くされているから、みんなでホウキで掃き出した。

夏は涼しく冬は寒い。風通し良すぎてなのか?時々、朝起きたら、そこら中にイタチの足跡が付いていたりした。これは、相当騒がしかった筈…もしかしたら誰かの顔の上を走ってたかもしれないのに、全員朝まで爆睡してたんだから、呑気な家族である。

この家で暮らした思い出は沢山ある。

でも、ある台風の夜…家全体が大きく左右に揺れ…命の危険を感じた両親が建て替えを決断した。

茅葺き職人さんが居なくなってきたので、維持が難しくなったということもある。

当時はこんな古めかしい家に住んでるのは私くらいなもんだったから、「建て替えたら友人を家に呼べる」と喜んだ。でも、今となっては「維持出来てたら良かったなぁ〜」なんて思ってしまう…

失くして気付く大切さって、こういうもんかもしれないと、たまに感傷に耽る今日このごろ^_^;である。

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ABOUTこの記事をかいた人

文と書いて”とも”と読みます。生まれ育った川西市笹部は母方の生家で、先祖代々、この土地で暮らしてきました。幼少期に住んでいた家は藁屋根、トイレは外、五右衛門風呂や釜土もありました。 1997年~2014年は県外や海外で暮らしていましたが、2014年2月に故郷の笹部に戻り、両親、息子と暮らしています。数十年離れていても、自然と受け入れてくれる故郷があるって幸せだと思います。そんな気持ちを何かの形で表したくて、まちづくりに関わっています。「地域の魅力=暮らす人々の魅力」だと思っているので、人との繋がりから生まれる地域活性化をコンセプトにこれからも活動していきたいと思っています。