繋がり方…今昔(?)

Pocket

むか~し、むかし…と思わないのだけれど、そんな大した年数は未だ生きてないと思うのだけれど…

やっぱり(^-^;)、写真は嘘つかない。。。こんな家に住んでたんだよね…

その頃の家族写真は… 母の髪型、服装…多分、当時はこれがトレンドだったんだと思うのだけれど。

実家の景色はちょっと家が増えて近代化(?)したりして変化してはいるものの、里山も段々畑もそんな大きくは変わらず…でも、村中のみんながてんやわんやしながら盛り上がる年中行事は無くなりつつある。そうすると、やっぱりご近所づきあいもちょっとずつ希薄になっていくような…

あの頃は、年越し前の餅つきをどの家が早くやるか競争で、道で会うごとに「今年は何臼ついた?」の話で盛り上がった。年明けは除夜の鐘をつきに行き、年が明けたらついさっきお神酒飲んだやん~の人たち同士で同じ神社で年始のご挨拶。年中なんだかんだと顔を合わすので、ちょっと道で会うだけでも立ち話の時間が自然となが~くなる。私は地域一帯全部を庭のように遊んでいたので、いつのまにか母の目の届かないところへ行ってしまう。でも、必ず誰かが私がいる場所を把握しているから母は全く心配していなかった。

地域で稚児行列が企画されたときは、男の子は烏帽子、女の子は天冠被って練り歩いたっけ…人生初のお化粧はその時だったかも(^^?)。口紅が気持ち悪くてずっと口を半開きにしてた記憶がある。

弟は練り歩きで疲れたのか、神社の境内に着いたとたんにペタンと座ってしまい動かず(^^;)…結局、集合写真は一番前で写ることになった。

 この写真は随分長い間、神社の社務所に飾られていたそうである。

近所づきあいや人との繋がりは時代とともに希薄になってきていたけれど、最近、また繋がりを大切にするようになってきている。そのきっかけって、何となくSNSにあるように私は思う。直接会ったり、時間帯を気にして電話したり、時間かけて手紙書かないとコミュニケーション取れないって面倒だ…って思っても、ちょっと呟く、ちょっとコメントするだけで、相手の時間を束縛せずに繋がれる。いきなり会いにいっていいのかな?って思う相手にも先ずは「いいね」してみたりして。。。

「こんなことやりたい!」って上げたら「それいいね」って言ってくれる人たちがいて、本当に実現することだってあるもんね(^^)

でも、結局は実際に会ったり話すことが一番!

ネットでの繋がりには危険もたくさんあるけれど、会うためのきっかけづくりや間繋ぎの手段として、上手に使い分けられたら輪が広がっていくんだな…と思うのです。

私が今、川西でたくさんの事に関われているのも最初はFacebook投稿へのコメントでした。まだシンガポールに居たころ、偶々学生が立ち上げたまちづくり団体の投稿を見つけ、「帰国したら手伝うよ」ってコメントしたら、ちゃんと返信をくれたんです。なので、帰国して早々に彼らに会いにいきました。そこから、ずずずい~っと色んな繋がりが、あれよあれよと出来て、いつのまにか土日の方が忙しいんじゃない…で今日に至る、です。

世界人口と比較したら一生で会える人の数はそんなに多くない。だから、これまでの出会いは本当に貴重で、きっと奇跡(^^)/

これからも出会いを大切に、繋がりを大切に、そして笑顔でいこうと思います。

因みに…私、一人のときは笑ってません‥(・▽・)…たまに相当な寝不足で負のオーラ出てるときもあるようで‥でも、そんな時も声かけてね。私の場合はみんなといると超楽しくなって笑ってしまうんです。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

文と書いて”とも”と読みます。生まれ育った川西市笹部は母方の生家で、先祖代々、この土地で暮らしてきました。幼少期に住んでいた家は藁屋根、トイレは外、五右衛門風呂や釜土もありました。 1997年~2014年は県外や海外で暮らしていましたが、2014年2月に故郷の笹部に戻り、両親、息子と暮らしています。数十年離れていても、自然と受け入れてくれる故郷があるって幸せだと思います。そんな気持ちを何かの形で表したくて、まちづくりに関わっています。「地域の魅力=暮らす人々の魅力」だと思っているので、人との繋がりから生まれる地域活性化をコンセプトにこれからも活動していきたいと思っています。