感覚のずれ、違い?…

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感覚のずれとか違いってある?…あるよね…(・・?)

うちの母は時間を大切に生きてきた人だと思う。時代なのかもしれないけれど、長女として弟2人の面倒を見て、家事を全てこなしながら学校に行き、仕事もした。祖母はとても厳しかったようで、ちょっと何か出来ないと物差しでピシャリッ!クラブ活動も「家の事は誰がするねん!」という理由で辞めさせられたそうである…

それに、「女が勉強できてどうする。嫁にいけない。」という時代…母は釜土の前でご飯炊きながら弟をおぶって勉強していた。学校の先生になるという夢があったから。参考書も買ってはもらえないから、雑誌の付録についてる問題集を誰かからもらって何度もやったり…そんな環境でも、そうだったから?…成績はいつも1番か2番。きっと学ぶことがホントに貴重だと感じていたのだと思う。

けれど、大学には行かせてもらえなかった。学校の先生が頼みにいくと言ってもダメだったそうである。弟2人…男は大学に行かせないと!…母の方が優秀だったから女の方が出来るってのは困るというのもあったみたいだけれど、どう頑張っても弟2人は私学だろうからお金もかかる、金銭的な理由もあって我慢するしかなかった。でも、それでも諦めきれなかった母は夜間で働きながら大学に行こうとした。先生の夢と祖母の納得を両方満たせそうな夜間短大の家政科へ進学したんである。家政科なら嫁に行くための準備という口実にはなる。家庭科の教員免許も取れる。というわけで…

でも、実際には会社と家事と勉強のトリプルは体力的に厳しく半年で体調を崩して退職。その後は職業安定所に通いながら短大を卒業した。母の母校は関西ではなかなか有名な?お嬢様学校。卒業式は全日も夜間も一緒なのでとても華やかだったらしく、同窓生の殆どが所謂「いいところ」の方と結婚し奥様になった。

うちの母は結婚して出産・育児もしたけれど、私が小学校3年生のときに歯科衛生士専門学校に入学した。我が家の家計は色々あってちょっと厳しく…働くためには手に職を!って思ったみたい。母はその時も夕方~夜に働きながら、家事をこなし(私もちょっとずつお手伝いはしたけれど…)夜中に勉強していたっけ‥‥(アイキャッチの画像は母が花嫁衣裳で家から出ていくところ。この時の母の気持ちはどんなだったのかな…??)

歯科衛生士になってからは、定年するまでずっと同じ歯科医院に勤めた。そして、今も時々お手伝いに行っている。昔からの患者さんは母がいるとホッとすると言ってくれるそうで、母とのお付き合いは親子孫3代?みたいな方もいるみたい(^^)

そんな色々なことやってきた母なので、時間に対する感覚がちょっと?すごい(*_*)

私の息子は最近朝方で4:30とか5:00に起きて何かをしようとする。それはいいのだけれど…自分で起きれない(‐△‐)…大音量の目覚ましかけても起きられず…そんだけ熟睡できる能力、それはそれですごいよね…。夜中の地震が不安な理由は「起きられなくて逃げ遅れたらどうしょう‥‥」らしいし(^◇^;)

で。。。結局、母がお越しに上がってくる。「もう5時はとうに(=とっくに)過ぎてるのに、いつまで寝てるん!」大音量の目覚ましよりはるかに迫力あるので、5:30まで寝てていい筈の私の目も覚める…この朝の30分は結構貴重なんだけど(_ _;)…

で、「とうに!(=とっくに!)」がどれぐらいかと時計を見ると…大抵1分か2分…

確かに「朝の1分は惜しい」とは言う。。1分遅れて駅に着いても電車には乗れない。。。

なので、この「とっくに!」の感覚も合ってるんだよな~…と思いつつ…平日の朝も休日の朝も同じ怒号が飛び交う我が家から「いつか出てやる!」と時々真剣に思ってしまう今日この頃…

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ABOUTこの記事をかいた人

文と書いて”とも”と読みます。生まれ育った川西市笹部は母方の生家で、先祖代々、この土地で暮らしてきました。幼少期に住んでいた家は藁屋根、トイレは外、五右衛門風呂や釜土もありました。 1997年~2014年は県外や海外で暮らしていましたが、2014年2月に故郷の笹部に戻り、両親、息子と暮らしています。数十年離れていても、自然と受け入れてくれる故郷があるって幸せだと思います。そんな気持ちを何かの形で表したくて、まちづくりに関わっています。「地域の魅力=暮らす人々の魅力」だと思っているので、人との繋がりから生まれる地域活性化をコンセプトにこれからも活動していきたいと思っています。